Profile
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「荷物まとめて出てこい。
徳島空港で待ってるから」
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僕の親父はそう言って母を徳島から連れ去り
東京都杉並に駆け落ちしました。
ドラマチックな駆け落ち結婚、
僕はその6畳一間風呂なし共同トイレの
ボロアパートで生まれ育ちました。
しかし老舗写真館の跡継ぎだった父は
家族を養うため夢を諦め
実家の栃木に帰郷し跡を継ぎ
僕はその地で高校時代までを過ごしました。
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「お前は4代目の跡継ぎだからな」
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僕は物心ついた時から
家族からそう言われ続けてきました。
そのためレールから外れる事を
絶対に許されず
また商売をしているため
徹底的に世間体に固執されてきました。
子供の頃は夢がありました、
しかし僕は周りよりかなり早い段階で
それがなくなりました。
「どうせ跡継がなくちゃいけないんだから。。。」
中学生の時点で完全に将来の夢が
なくなりました。
夢がなくなった人間はどうなるか
知っていますか?
目標もなくしてしまうんです。
その後親の指示した高校に入り
家族が指示した大学に進学し
親が決めた就職先に
カメラマンとして就職しました。
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夢も目標もない毎日
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「ただ楽しければいいや」
と思い仕事も中途半端、
生き方も中途半端、
ただ毎日流されて酒飲む事だけが楽しみ
という日々を送っていました。
それでも東京での生活は楽しかったんです、
なんか刺激がありました。
ところが2000年、
家族の意向で強制的に実家に帰され
跡を継ぐ事になります。
田舎の写真館の跡を継いだ僕はますます
夢や生きる意欲をなくします。
「俺は継ぎたくて継いだんじゃない」
「こんな田舎嫌だ」
毎日そんな愚痴ばかり言い
親子だけで経営する写真館で
文句ばかり言って
毎日目の前の作業だけをやっていました。
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仲間との出会い
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あるとき同業者の友達の紹介で
あるスタジオ経営者の団体に入会しました。
僕はビックリしました、
同じ業界でこんなに生き生き
輝いている人たちがいる!
みんな最高の笑顔で最高の仕事をして
めっちゃ熱い!!
僕はその時、
自分の写真に関する未熟さや経営への甘さ、
冷めてやる気のない自分が初めて嫌になり
「この人たちみたいになりたい!!」
初めて自分の中のスイッチが
オンになりました。
その仲間達は何でも惜しみなく
ノウハウや技術を教えてくれました。
僕も必死で学び、
暇さえあれば見学や研修に行きました。
やる気のスイッチが入った
僕はあっという間に変わり
親との衝突も増えながら
スタジオをどんどん変えていき
初めて意欲的に仕事をするようになり
撮影が楽しくて仕方なくなり
「俺は撮影をする為に生まれてきた!」
とまで言うようになりました。
そんなある日、行きつけのカフェで運命の女性と出会い、
2週間でプロポーズ、電撃結婚しました。
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人生を変えた悲劇
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お店の経営は右肩上がり
結婚後すぐさま妻が妊娠、
仕事もプライベートもなにもかもが順調だったある日、
「なんか腰が痛い」
と言っていた父が検査をしたのが
7/7 七夕の日、
忘れもしません、
「肺がんが末期ですでに
全身に転移しています、
春までの命でしょう」
突然父の余命宣告をされました。
僕の長男の誕生を
誰より心待ちにしていたのは父でした。
「まぁ出産は11月予定だから初孫を抱く事はできる、
それで元気に回復してくれる事を祈ろう」
ところが入院し放射線治療や抗がん剤治療をするうちに
どんどん病状は進行し
みるみるうちに父の姿が
変わっていきました。
ちょうどこの時期にパートスタッフが妊娠、
妻も妊娠、母は父の看護、
5人のうち4人が職場からいなくなり
急遽バイトスタッフを二人取ったものの
実質僕一人で仕事をする状況で連日徹夜、
父のお見舞いに行く事すら出来ない激務の日々でした。
家族が行くといつも笑顔で
「大丈夫、元気になるから」
と言っていた父ですが、抗がん剤の副作用で
見るも無惨な姿でした。
髪は抜け落ちげっそり痩せて下半身不随、
モルヒネの副作用で意識も
もうろうとしていました。
そして「春までの命でしょう」
と言われた父は
初孫の誕生を見る事なく
11月に亡くなりました。
亡くなった日、
奇しくもスタジオは超繁忙日、
僕以外の家族は父を看取りましたが
そんな日に僕はウンチのぬいぐるみを持って
子供達を笑わせて撮影をする仕事、
人生で一番泣きたい日に
ずっと子供達の前でピエロのように
笑わせなくてはいけなかった、
僕が父の亡がらに会えたのは
夕方過ぎでした。
悲しくて悔しくて声を上げて
泣きじゃくりました。
僕だけお見舞いにも行けなかったし
最期も看取れなかったし
お別れの言葉も言えなかった、
父に「ありがとう」すら言えなかった。
そして母さんから聞きました、
「父さん、みんなには
「大丈夫元気になるから」
って言っていつも笑ってたけど
毎晩泣いてたのよ、
「ごめんな、ごめんな」って」
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なんだったんだ父さんの人生って!?
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僕は子供の頃から
「頑張ったら必ず報われる」
と信じていました。
父は自分の夢を諦め家族の為に家業を継ぎ
いつも仕事をしていました。
「将来太朗が継いでくれたら大好きなアウトドアするんだ」
と言ってキャンプ道具を揃えていましたが、
一度もキャンプに行けずに
人生を終えました。
最後は毎晩泣きながら
「ごめんな、ごめんな」って。。。
息子が言うのもなんですが
真面目で誰からも愛される
典型的な「いい人」だった父、
なんで!?
頑張れば報われるんじゃないの!?
俺の仕事って何だよ!?
最愛の父が亡くなるっていうのに
会う事すら出来ないのかよ!
猛烈な喪失感と絶望感の中、
長男が生まれました。
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衝撃の出会い
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生きる意義さえ分らず
仕事って何だよと思っていた時に
仲間の誘いで「成功実践会」という会に
入会しました。
忘れもしない衝撃でした。
僕はその成功実践会初日に
「宇宙の法則」というものを知りました。
「成功哲学」との出会いです。
全ては宇宙の法則に基づいて動いている、
この真理を知るか知らないかで
人生が変わる事を知りました。
僕はむさぼるように成功哲学に
没頭しました。
全てが初めて知る事ばかりでした。
今までビジネスセミナーやマーケティングや
経営セミナーしか受けていなかった
自分にとっては
全てが衝撃的でした。
今まで学校や大人から
教えてもらっていた事と
宇宙の真理は全く違っていたからです。
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劇的な変化
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この成功実践会の出会いから僕の人生は再び激変します。
ずっとレールに乗っかってきただけの
人生でしたが
「俺は世界を変える男になる」
と公言しだし
自分の人生を自分で選択するようになり、
それはビジネスにもすぐに結果として出ました。
翌年、創業以来の最高売上を達成し
親子だけでやっていたスタジオは
あっという間に大きく成長し
スタッフは13人になりました。
スタッフの誰が抜けても
代わりがいる仕組みを作る為です。
僕のような想いをさせたくなかったので
冠婚葬祭や不慮の事故等、
誰がいつ抜けてもいいような
組織を作りました。
そして「何の為に仕事をしているのか?」
「世界を変えるため!」と公言し
貧困国に学校を作るプロジェクトを立ち上げ
アフリカの子供を二人里親支援し
カンボジアの村に井戸を作りました。
3.11の東日本大震災では全貯金を寄付した他
現地石巻に復興支援ボランティアに
仲間と参加、
そんな活動が注目され
テレビや新聞などで取材を
受けるようになりました。
またいつしか成功哲学を学ぶ側から
講演する側のお役目を頂くようになり
全国で講演依頼が入るようになりました。
経営者の団体や公立中学校、
福島正伸さんとの講演など
色んな所でセミナーを
させていただきました。
所属していた団体でも
全国の副委員長で
関東の副代表になっていました。
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別れと出会い
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しかし、愛してやまなかったその団体から
突然除名される事になります。
「出る杭は打たれる」
僕のやった事はある人たちによっては
「売名行為」「偽善者」
と見えたようでした。
完全にスタジオ業界から干された僕は
再び一番大切にしていたものを失いました。
しかしその時、ある方と出会います。
それは今のビジネスのメンターとなる
師匠との出会いでした。
僕は師匠にアドバイスを頂きながら
副業でインターネットビジネスを始めます。
お小遣い稼ぎ、が目当てでした。
ところがその世界が目から鱗でした。
今まで写真スタジオという業界しか
知らなかった僕にとって、
水槽から海に出た感覚でした。
出会う人出会う人のスケールが違いすぎる、
「なんだこの世界は!?」
仕事の内容とかいうより
そこで出会った人たちのスケールの大きさ、
価値観やライフスタイルに惚れました。
みんなお金や時間や人間関係に縛られていない、
「自遊人」でした。
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旅立ち
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もう業界のしがらみもない僕はその年、
2011年に
六本木に(株) La Mode KEIOを起業、
2013年5月に渋谷に引越し
副業だったビジネスが本業となり
本格的にインターネットビジネスを
展開し始めました。
何もかもがうまくいきつつあった2013年、
個人でインターネットで稼いでいたリスクにより
一旦売上が激減しました。
収入の柱が一つに偏るというのは
リスクがある、
また同時に、
自分だけが稼げばいいのだろうか?
自分も稼ぐけど周りも稼がせたい、
稼ぐスキルや独立起業するスキルを
教えたい、
そう思っていたところに
新しい出会いが。。。
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新しいコラボ
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Facebookのカリスマコンサルタント、
ハミオさんのセミナーを受講した事をきっかけに
ハミオさんと意気投合、
一緒に飲みにいく中で
自分たちと同じような
「時間とお金と人間関係から自由になる」
そんな仲間をたくさん作るために
2014年5月
「ソーシャルメディア学園」を設立。
自身が学んできた成幸哲学や
インターネットビジネスで培った
ノウハウを伝授し
そんな自遊人を一人でも多く創出することで
「世界を変える」
それがミッションです。
インターネットビジネスの他に
輸出ビジネス、
投資ビジネス、フォトグラファー、
スタジオ経営の他に、
副業起業や独立起業したい人を
インターネットを使ったマーケティングとセールスで稼がせる
「独立起業コンサルティング」を開始する。
2月に家族でお台場に引越し
心機一転新しい挑戦を始める。
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そして世界へ
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そして現在、
ソーシャルメディア学園の運営と並行しながら
自分のビジネスのメンターや仲間と共に
「世界へ出て行こう」
という新たな挑戦のもと
2014年10月、
南青山に
Fit’sマーケティング合同会社を設立。
今後は国内はもとより、
香港、中国、シンガポールへ進出し
「あらゆる層の人たちへ富を満たす提案をしていく」
そのための新規事業、
輸出ビジネス、レーシングチーム運営、
西麻布クラブ運営、仮想通貨の発行、
鉱物取引業、スーパーカー転売、
オフショア資産運用、バイナリー事業、
を展開中です!!
天堤太朗
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座右の銘
「人生は出会いで変わる」
「一生青春 一生感動」